2010年より進化した写真集の仕様。
武神が撮った写真をお楽しみください。
なお、2010年2月以前の写真は
ここです。
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041:『蜻蛉の滝(撮影日:3/20 撮影者:武神)』
滝壺を覗いたところ。滝壺からの観覧橋が閉鎖していたため、逆アングルの写真は0です。
042:『蜻蛉の滝(撮影日:3/20 撮影者:武神)』
上から撮影。
043:『蜻蛉の滝(撮影日:3/20 撮影者:武神)』
こちらも上から撮影。滝壺とセットです。滝壺が小さく見えることから、この滝の大きさが伝わるのではないかと思います。
044:『蜻蛉の滝(撮影日:3/20 撮影者:武神)』
横から撮影。
045:『高松塚古墳(撮影日:3/21 撮影者:武神)』
高松塚古墳は壁画で有名ですが、その壁画は奈良県明日香村の依頼を受けた橿原考古学研究所が学術調査の実施中に昭和47年3月に発見されたものです。高松塚古墳壁画は壁画は国宝に指定され、重要文化財保存上、一度も一般公開されていませんが、そばにある博物館で精巧なレプリカを見る事が出来ます。
046:『明日香村(撮影日:3/21 撮影者:武神)』
奈良県明日香村遠景。国営飛鳥歴史公園・高松塚地区から撮影。
047:『文武天皇陵(撮影日:3/21 撮影者:武神)』
文武天皇陵です。当然だけど、宮内庁管轄。
048:『中尾山古墳(撮影日:3/21 撮影者:武神)』
墳丘全体を墓石で覆うと考えられる三段築成の八角形墳。外周にも八角形をなす二重の石敷が巡ります。墳丘の対辺間の距離は約19.4m、石敷の対辺間の距離は29.4m、高さ4m前後に復元でき、石槨は花崗岩の切石を組み合わせて、漆喰で石のメジを埋めます。内部の規模からみて、火葬骨を納めた墳墓で、7世紀末から8世紀末初めに築造されたと考えられています。
049:『吉備姫王墓(撮影日:3/21 撮影者:武神)』
読み方は「きびひめのみことのはか」。
孝徳天皇と皇極(斉明)天皇の生母にあたり、「日本書紀」によれば、吉備姫王は皇極天皇2年9月に亡くなり、橿弓岡に葬られたとあります。また、「延喜式」諸陵寮には欽明天皇陵と同じ陵域内に墓があると記されていることから、現在地に指定されています。
墓域内には江戸時代に欽明天皇の南側の字イケダの水田から掘り出された石造物4体があり、猿石と称されています。
050:『欽明天皇陵(撮影日:3/21 撮影者:武神)』
全長140m、後円部屋72m、前方部107mで明日香村内唯一の前方後円墳です。
「日本書紀」によれば、欽明天皇は32年(571年)4月に亡くなったと言われます。
051:『鬼の雪隠(撮影日:3/21 撮影者:武神)』
鬼の雪隠は墳丘土を失った7世紀末の石室の一部です。本来は花崗岩の巨石を精巧に加工した底石・蓋石・扉石の3個を組み合わせたもので、鬼の雪隠はその蓋石の部分にあたり、近くにある鬼の俎板(底石)から横転してきた状態にあります。この周辺は霧ヶ峰と呼ばれ、鬼が住み、通行人に霧を降らせ、迷った所を捕えて、俎板の上で調理し、雪隠で用を足したという伝説があります。
052:『鬼の俎板(撮影日:3/21 撮影者:武神)』
こちら鬼の俎板。墳丘の底石の部分にあたります。
053:『亀石(撮影日:3/21 撮影者:武神)』
作られた時期も目的も不明ですが、一説では河原の方向を指し示すための物ではないかと言われます。
054:『橘寺(撮影日:3/21 撮影者:武神)』
聖徳太子生誕の地と言われます。
発掘調査によって四天王寺式伽藍と同じ伽藍配置であるが、当時の寺院は南向きの物が多い中で、この橘寺は珍しく東向きであり、中門・塔・金堂・講堂が一直線に東から西へ並んでいた事がわかりました。中でも、塔心礎の柱穴は心柱の三方に添え木を当てる特殊な形式で、法隆寺若草伽藍の心礎と似ています。
055:『石舞台古墳(撮影日:3/21 撮影者:武神)』
石舞台古墳は蘇我馬子の墓と言われ、日本最大の方形墳です。30数個の岩の総重量は約2300tにもなり、特に天井石は約77tもあり、造られた当時の優れた土木・運搬技術がうかがえます。
056:『石舞台古墳・玄室内部(撮影日:3/21 撮影者:武神)』
石舞台古墳は早期から盛り土が消失し、巨大な石天井が露出してしまっています。昭和8年から実施された調査では墳丘は一辺約55mの方墳または上円下方墳で、周囲には周濠と外堤の斜面には貼石が施されている事が明らかになりました。
057:『飛鳥寺(撮影日:3/21 撮影者:武神)』
飛鳥寺は蘇我氏の氏寺であり、かつての中金堂の位置にある本堂の本尊・飛鳥大沸は約1400年もの間そのままの位置にいます。現在は自然崩壊によって寺の大きさが1/20に縮小されています。
058:『夕暮れ(撮影日:3/21 撮影者:武神)』
近鉄藤井寺駅にて撮影。うまく太陽が写りました。
059:『伊勢神宮・内宮(撮影日:3/22 撮影者:武神)』
今回はtakaさんと伊勢に行ってまいりました。
060:『伊勢神宮・内宮・神楽殿(撮影日:3/22 撮影者:武神)』
神楽殿前。
061:『伊勢神宮・内宮・神楽殿(撮影日:3/22 撮影者:武神)』
神楽殿前
062:『伊勢神宮・内宮・本宮(撮影日:3/22 撮影者:武神)』
本宮。天照大御神を祭っている場所。
063:『伊勢神宮・外宮・本宮(撮影日:3/22 撮影者:武神)』
こちら外宮の本宮。
064:『札幌の朝焼け(撮影日:4/8 撮影者:武神)』
札幌はこの季節、5時半前で既にこの明るさです。ちなみに、この時の気温は0度。
065:『石狩川河口(撮影日:4/11 撮影者:武神)』
石狩川の河口です。
石狩川は大雪山系を源とし、上川、空知、石狩の大平野を形成して日本海に注ぐ大河川で、北海道開拓の歴史の中で、たび重なる洪水と戦いながらも、交通・物資輸送の道として大きな役割を担い、また鮭漁など北海道の歴史と文化が刻まれている川です。
全長268kmでその長さは日本3位。
066:『日本海(撮影日:4/11 撮影者:武神)』
日本海。石狩川直下。
067:『石狩砂丘(撮影日:4/11 撮影者:武神)』
石狩浜の砂丘です。ここには約120種以上の植物が生息しています。
068:『旧かくに長野商店(撮影日:4/11 撮影者:武神)』
石狩市の指定文化財。
この商店は、もと石狩市親船町七番地の親船通り沿いにありました。創業は明治七年ですが、店舗は明治二十七年石蔵は明治十年代と推定される、市内最古級の石造建築物です。
旧長野商店の石蔵は、道内に現存する木骨石造建築物の中で最も早い時期に建てられた可能性があり、石狩市だけでなく北海道にとって大変貴重な建物です。
069:『石狩灯台(撮影日:4/11 撮影者:武神)』
石川灯台は明治25年1月1日に設置点灯され、1世紀以上にわたって石狩市のシンボルとして親しまれています。北海道に明治21年〜明治26年までに設置された全道20か所の灯台の一つで、当時は、木造で黒白の六角形の木造建築でした。
昭和32年、松竹映画「喜びも悲しみも幾年月」のロケ地となりました。
070:『古河講堂(撮影日:4/17 撮影者:武神)』
北大がまだ旧東北帝国大学の農学部だったころの農科大学林学教室です。古賀家の寄付で立てられたのが1909年で、左右の翼屋にマンサード屋根を架け、玄関ポーチ左右の円柱上の鈴蘭風の装飾、窓上の破風の植物装飾などの装飾が施されています。
071:『サクシュコトニ川(撮影日:4/18 撮影者:武神)』
サクシュコトニ川は北海道大学札幌キャンパスの南部に流れる川(?)で、サクシュは浜(豊平川岸)の方を通るの意、コトニは窪地の意であり、「窪地を流れる川のうちで最も豊平川に近い川」というアイヌ語の意味があります。
もっとも、この川は1951年頃からの上流の開発により、その水量は徐々に減り、遂には涸れ川になりました。現在でも河川の体をなしているのは、一重に北大構内にある第一農場の実験用水田周辺から、遺跡庭園北端までの北大構内となっています。
072:『北海道大学農学部棟(撮影日:4/18 撮影者:武神)』
北海道大学の前身は、明治維新の蝦夷開発時に作られた、札幌農学校。農学部はその流れを強く引き継ぎます。初代札幌農学校教頭・クラーク博士が残した『Boys be ambitious!』は非常な有名な言葉になっています。
073:『新渡戸稲造像(撮影日:4/19 撮影者:武神)』
札幌農学校一期生である新渡戸稲造の像です。
074:『北海道大学理学部棟(撮影日:4/19 撮影者:武神)』
北大理学部/理学院は総合博物館を含む全9の建物から構成されています。
075:『ポプラ並木(撮影日:4/19 撮影者:武神)』
ポプラが北アメリカから北海道に入ったのは明治の中頃で、主に牧場の境界線として植えられました。この並木は明治45年に札幌農学校の林学科生によって農場内に植えられたものです。
このポプラ並木は一度、平成16年の台風18号の影響で51本中19本が根元から折れてしまいましたが、色々な人々の協力で復興に至りました。
ちなみに、この並木は試験農場へ通じているため、一般人の立ち入りはできません。
076:『理学部ローン(撮影日:4/19 撮影者:武神)』
理学部前の広場で、理学部ローンと呼ばれています。何故かここにはジンギスカンの焼き場が用意されています。
077:『発寒川(撮影日:5/1 撮影者:武神)』
発寒川は石狩川水系の川で、昔は発寒の地名から発寒川と呼ばれていました。発寒とはアイヌ語でハッシャム「桜鳥の様な鳥の多い場所」という意味があります。
078:『GLAYメモリアルモニュメント(撮影日:5/1 撮影者:武神)』
2001年のGLAY EXPO GLOBAL COMMUNICATIONの際にGLAYのメンバーが訪れた石狩に残したメモリアルモニュメントです。何故かてっぺんの時計がもげています。
079:『鳥達の狂宴(撮影日:5/1 撮影者:武神)』
石狩新港東埠頭にて。売れ残りの魚に鳥が群がります。
080:『水芭蕉(撮影日:5/1 撮影者:武神)』
石狩川河川敷付近のマクンベツ湿原にて。ここに水芭蕉の群生地があり、4月下旬辺りから見ることができます。
2010/03/20〜2010/05/01撮影