写真集




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2010年より進化した写真集の仕様。
武神が撮った写真をお楽しみください。
なお、2010年2月以前の写真はここです。
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001:『阪神三宮駅前(撮影日:2/24 撮影者:武神)』
兵庫県の三宮駅前です。

002:『三宮(撮影日:2/24 撮影者:武神)』
神戸空港へ通じる街で、南側の活気が凄いです。

003:『神戸遠景(撮影日:2/24 撮影者:武神)』
神戸空港より撮影。
004:『明石上空(撮影日:2/24 撮影者:武神)』
札幌行きの飛行機中から撮影。明石周辺の上空撮影です。
005:『姫路上空(撮影日:2/24 撮影者:武神)』
大体姫路辺り。
006:『空の旅(撮影日:2/24 撮影者:武神)』
これも飛行機中より撮影。下は北アルプスの辺りです。ちなみに、北アルプスはダウンロード用壁紙になるはずでしたが、まさかの飛行機の窓枠が写っていて、没になったという仕様。
007:『新千歳空港(撮影日:2/24 撮影者:武神)』
北海道最大の空の玄関口、新千歳空港。今年の札幌の降雪量は例年の7割程しか無かったとか。
008:『北海道大学構内(撮影日:2/24 撮影者:武神)』
下見の際に撮影しました。冬の北大キャンパスは当然ですが雪に覆われます。今年はやはり雪が少なく、微妙に歩きやすかったですが。
009:『旧札幌道庁本庁(赤レンガ)(撮影日:2/25 撮影者:武神)』
旧北海道庁の建物。通称・赤レンガ。札幌の有名な観光地の一つです。
010:『札幌時計台(撮影日:2/25 撮影者:武神)』
こちらも札幌の有名な観光名所の一つ。この時計台はかつての札幌農学校の演武場だった事は案外知られていません。今では銘菓・白い恋人の箱の柄にも使われています。
011:『サッポロビール園(撮影日:2/25 撮影者:武神)』
札幌のビール、サッポロビールの本拠地(?)サッポロビール園です。ここで友達とジンパしたら楽しいでしょうなあ。
012:『クラーク像(撮影日:2/26 撮影者:武神)』
「Boys be ambitious!(少年よ、大志を抱け)」で有名なクラーク博士像。ちなみに、ポーズをとった全身像は北大構内にはありません。
013:『札幌駅北口(撮影日:2/26 撮影者:武神)』
JR札幌駅の北口です。
014:『采女神社(撮影日:3/1 撮影者:武神)』
嘗て、諸国一見の旅僧が奈良明日香明神に参詣すると、一人の里女が現れ、当社の由来を語り、その僧を誘って猿沢の池へ行き、昔、帝の寵愛を受けた采女が帝の御心変わりを恨んで入水したと語り、自らはその幽霊であると語り、池に入る。僧はその辺りで読経回向すると、再び采女が現れ、成仏を喜び、采女についての逸話を語り、歌舞を演じて再び池に消えたと、大和物語に残されています。
今では、縁結びの神として祭られています。

015:『猿沢池(撮影日:3/1 撮影者:武神)』
猿沢池。采女神社の由来となる采女が消えたと言われる池です。興福寺の南に位置します。
016:『興福寺・五重塔(撮影日:3/1 撮影者:武神)』
興福寺は大化改新の成功を祝って造立した釈迦三尊像を安置するため、中臣(藤原)鎌足の妻である鏡女王が京都山科に建てた山階寺を起源とします。
近江から飛鳥、平城と遷都するにあたって、寺も移り、厩坂寺、興福寺と変わりました。藤原氏や朝廷が深く関わったため、絶大な権力を得、幕府による宗教政策の厳しかった江戸時代でさえ、栄えましたが、明治維新の神仏分離政策と廃仏毀釈後、春日大社に僧侶が全員出てしまったため、無住寺と化してしまいました。
しかし、関係者の努力で復興に成功。2010年現在、興福寺の境内の整備作業が行われています。

017:『興福寺東金堂(撮影日:3/1 撮影者:武神)』
興福寺東金堂は3つある金堂の内、中金堂より東に位置するため、東金堂と呼ばれます。726年に聖武天皇が元正天皇の回復を願って造立された薬師三尊を安置するお堂で、創建以来6度消失し、1415年に再建されました。内部には、薬師如来坐像、日光・月光菩薩立像の3つの重要文化財、文殊菩薩坐像、維摩居士坐像、十二神将立像、四天王立像の4国宝を擁します。この他に興福寺には、あの有名な興福寺仏頭、興福寺阿修羅像もあります。
018:『新薬師寺南門(撮影日:3/1 撮影者:武神)』
新薬師寺は南都十六大寺の一つで、聖武天皇眼病平癒祈願の為、747年に勅願により光明皇后によって建立されました。新薬師寺の「新」は「新しい」ではなく、「あらたかな」の意です。南門、東門、鐘楼、観音堂の4重要文化財、国宝の本堂を擁します。詳しくは良所巡り「('10)古都奈良巡り」をご覧ください。
019:『春日山石窟仏(撮影日:3/1 撮影者:武神)』
この石仏は東大寺大仏殿を建てるために石材を掘りとった後に彫られたものです。
石仏は全部で18体あり、一つは地蔵尊を中心としたもので、いま一つは大日如来と阿弥陀如来を中心としたものです。平安時代作である事は明確ですが、作者は不明です。
また、旧柳生街道が通る春日山にはこの他にも地獄谷石窟仏などの石仏が数体存在します。

020:『春日山石窟仏(撮影日:3/1 撮影者:武神)』
写真No.19が右側、No.20が左側を撮影したものです。
021:『鶯の滝(撮影日:3/1 撮影者:武神)』
名瀑を幾つも擁する奈良県の中で唯一奈良市街から徒歩で訪れる事が出来る滝で、世界遺産である春日山原始林を通る春日奥山道路の途中にあります。
「水滴が氷をたたき、まるで鶯が鳴いているように聞こえた」という逸話から名前が付いています。
この滝周辺は木々が多い繁って非常に冷え込みが激しいです。
落差10m

022:『東大寺法華堂(撮影日:3/1 撮影者:武神)』
東大寺法華堂は国宝で、別名・三月堂とも言い、内部に法華堂諸尊(国宝12体、重要文化財4体)、国宝の不空羂索観音像を擁します。
法華堂は数多い東大寺の文化財の中でも、唯一、創建当時から残る非常に貴重な文化財です。
ちなみに、不空羂索観音像は362cmもある巨大な像です。

023:『二月堂(撮影日:3/1 撮影者:武神)』
二月堂は3月1日から2週間行われる修二会という行事で有名です。
行事自体は二月堂にくくりつけた松明を燃やし、悔過作法、祈願作法、呪禁作法を行います。
ちなみに、二月堂は江戸時代の初期まで創建当時の物が現存していましたが、1667年に修二会中に焼け落ち、翌年再建したものが現在の建物です。

024:『東大寺大仏殿(撮影日:3/1 撮影者:武神)』
正式には東大寺金堂と言います。現在の大仏殿は創建当初の物より86m狭くなっています。
758年完成後、1181年南部焼き討ちで消失、再建後、1562年の東大寺大仏殿の戦いで再び消失、1610年には仮仏殿が暴風で倒壊し、何度も憂き目を見ました。
現在の大仏殿は1691年に完成したものです。1952年に国宝に指定されています。

025:『東大寺盧舎那仏像 (撮影日:3/1 撮影者:武神)』
いわゆる大仏と言えば、言わずもがなこの像を思い浮かべるでしょう。像は一部を除いて殆んどが修復などによって当時の部分で無くなっています。
像高14.98m
頭部5.41m
目長1.02m
台座高2.54m

026:『東大寺南大門(撮影日:3/1 撮影者:武神)』
国宝。962年に台風で倒壊しています。現在の南大門は1199年に再建されたものです。重源が宋から伝えたと言われる大仏様で建てられており、内部に金剛力士像、石造獅子像が安置されています。
027:『金剛力士像・吽形(撮影日:3/1 撮影者:武神)』
金剛力士像は一般には運慶・快慶の作と言われていますが、実際には阿形像は運慶・快慶が小仏師13人を率い、吽形像は湛慶が小仏師12人と共に作ったと史書は語ります。
こちらは吽形像です。

028:『金剛力士像・阿形(撮影日:3/1 撮影者:武神)』
こちらは阿形像。東大寺の金剛力士像は通常の配置と左右が逆です。
029:『夕日観音(撮影日:3/1 撮影者:武神)』
旧柳生街道の斜面に彫られた石仏。こちらは夕日観音です。
看板はありますが、非常に見つけにくい高所にあるのが難点。作者は不明です。

030:『朝日観音(撮影日:3/1 撮影者:武神)』
こちらは朝日観音。
川を挟んだ対岸にありますが、比較的見つけやすいです。
早朝、高円山の頂から上る朝日に真っ先に照らされることからこの名がつきました。
実際には観音ではなく、中央は弥勒仏、左右は地蔵仏です。文永2年(1265年)の銘があり、鎌倉時代の石彫の代表的なもので、夕日観音の作者と同じではないかと言われます。

031:『北大南門(撮影日:3/8 撮影者:武神)』
北大の南門。ちなみに、北大構内には車は有料で入れます。したがって、バイク、車通学は禁止。
032:『JR札幌(撮影日:3/9 撮影者:武神)』
奥に写るは石狩ライナー
033:『白樺通り(撮影日:3/9 撮影者:武神)』
JR桑園駅近くの白樺通り。札幌から歩いて行けます。
034:『すすきの(撮影日:3/9 撮影者:武神)』
札幌の繁華街といえば、やはりすすきのでしょう。ちなみに、写真の中央の辺りに写っているのは札幌市電。現存する数少ないチンチン電車の一つです。
035:『札幌タワー(撮影日:3/9 撮影者:武神)』
札幌の観光名所の一つ。行くなら、夜の遠景を楽しみましょう。
036:『春の訪れ(撮影日:3/16 撮影者:武神)』
大阪府八尾市の久宝寺緑地にて撮影。道明寺や久宝寺周辺では徐々に桜も咲きつつありました。
037:『鎧掛岩(撮影日:3/20 撮影者:武神)』
奈良県川上村大滝に位置するこの岩には、「十倉式造林法」を確立した土倉庄三郎を讃える文字が彫られています。この近くに旧土倉邸跡があり、銅像がたてられています。
038:『鎧掛岩・記念彫字(撮影日:3/20 撮影者:武神)』
土倉翁とは土倉庄三郎の事です。
039:『吉野川(撮影日:3/20 撮影者:武神)』
吉野川は川上村より流れる川で、最終的に紀ノ川に合流します。水源地である川上村には沢山の川が流れており、それらは全てこの吉野川に合流します。撮影は西河。ちょうどここで音無川が合流します。
040:『蜻蛉の滝(撮影日:3/20 撮影者:武神)』
落差50M
いくつかある川上村の名瀑の中で最北端に位置する滝で、雄略天皇が行幸の際、巨大な虻が肘に止まった所をどこからともなく現れたトンボが噛み殺したので、雄略天皇は大いにそのトンボを褒め称え、この地に蜻蛉野(あきつの)と名付けたという伝説が命名の由来となっており、また、季節を問わず水量が豊富な二段滝であるため、滝壺には虹が絶えず見られ、この辺り周辺は虹光(にじっこう)と呼ばれます。
ちなみに、この滝は「せいれいのたき」と読みます。

2010/02/24〜2010/03/20撮影