('10)古都奈良巡り






2010/03/01

受験も終わり、春の訪れが見え隠れする3月1日。
今回は古都奈良に行ってまいりました。
はじめに断っておきますが、奈良の重要文化財・国宝群は基本的に撮影禁止の為、肝心の仏像などの
写真はありませんし、編集の都合上、かなり写真をカットさせてもらっています。
注)仏像名などは旧字体を含み、UNICODE文字である事があるのでひらがなや似た漢字で表記しているものもあります。

最初は、あのせんとくんを見に行くつもりでしたが、そもそも平城宮跡が本会場で、しかも4月21日
からしかやって無いとかいう仕様。マジかよぉ・・・。
予定より早くJRに乗って奈良に向かいます。
そういや、高1の時来たな〜と思いつつ奈良へ着いたのは10時半頃。
最後にJR奈良駅で降りたのは13年前ですが、ターミナル駅の工事してて、全然記憶と違う駅と
なってたいた事にまず驚き。
今時、地上駅なんて少ないしなぁ。

そのまま出口を出ると、三条通りを通って興福寺前に到着。



着いて初めて、高1の遠足の時の解散場所がここだった事に気づく俺。
遅すぎだろw
まあ、あの時は全然こういうのに興味無かったっですからねぇ・・・。

興福寺は大化改新の成功を祝って造立した釈迦三尊像を安置するため、中臣(藤原)鎌足の妻である
鏡女王が京都山科に建てた山階寺を起源とします。
この続きの説明は写真集の方で・・・。
え?説明がいい加減?
仕方ないじゃないですか!量多いんだもん!

そして奈良と言えば鹿。奈良公園の鹿はやはり健在です。



奈良に鹿が多いのは、平安時代より神として扱われ、保護されてきたからだそうで。
現在でも天然記念物に指定されています。
鹿にしかせんべい以外あげてはいけませんよ?



とりあえず、興福寺の東金堂に入ることに。
国宝館には行きませんでした。高いから。
経済状態が非常に厳しく(諭吉さん一人しかいない)、行く所を選ばなくてはならなかったのです。

東金堂には薬師如来像、日光・月光菩薩立像の3重要文化財と、文殊菩薩坐像、維摩居士坐像、
十二神将立像、四天王像の国宝群が安置されます。
また、国宝館には八部衆像(緊那羅、沙羯羅、乾闥婆、阿修羅、五浄部、迦楼羅、畢婆迦羅、鳩槃茶)
、十大弟子像(須菩提、羅ご羅、迦旃延、目けん連、舎利弗、富楼那)、興福寺仏頭、興福寺
天燈鬼・龍燈鬼像、興福寺千手観音菩薩立像、興福寺板彫十二神将立像真達羅大将、迷企羅大将像
の計20の国宝が公開されています。
あの有名な興福寺阿修羅像は八部衆像の一つです。

流石国宝です。感動しました(笑)流石国宝です。
東金堂から出ると、こんな珍しい光景に出くわしました。




これはある意味で凄い(笑)
まるで前からそこにあったみたいです。

お次は、南に歩いて元興寺へ。




ところが中に入ろうと思うと、拝観券売り場のおっちゃんが、旅行中の女の子捕まえて話し込んでる
という事態に遭遇。おい、おっさん!しっかり仕事しいな!

諦めて、近くにあると言う志賀直哉旧宅に立ち寄ってから新薬師寺に行くことに。



志賀直哉旧宅は文豪・志賀直哉が住んでいた所で(マンマだなw)、当時の建設資料などから復元したものです。
しかし、ここもべらぼうに見学料が高く、中には入らずじまいです。



春日山不空院。
不空羂索観音を本尊とし、縁結びと、縁切り二つを祀っています。
しかし、今のところ縁を結びたい相手も、縁を切りたい相手もいないので、さっさと出てしまいましたw

この道、高1の遠足で絶対通ったな・・・。
なんて思い100m程進むと、新薬師寺東門が見えてきました。



どうやら3年前の自分は新薬師寺を訪れた事自体気付いていなかったようです。



3年前、ここで3時間以上待ちぼうけを喰らった事を思い出しながら(それにしてもあの時はしんどかった)
中に入ります。







上から順に、鐘楼(釣鐘は重要文化財)、観音堂(薬師如来、地蔵菩薩、十一面観世音菩薩、を内部
に安置)、本堂となります。

新薬師寺は南都十六大寺の一つで、聖武天皇眼病平癒祈願の為、747年に勅願により光明皇后
によって建立されました。
新薬師寺の「新」は「あたらしい」ではなく、「あらたかな」の意を表します。
嘗て四町四方の境内に七堂伽藍甍を並べ、一千人の僧が住みこんだと言われますが、780年に落雷
で瞬時に炎上。現本堂のみが残りました。
新薬師寺の重宝は奈良時代からの物だけでなく、江戸時代のものも含みます。
本堂の化粧屋根裏は日本で最大のものだとか。

新薬師寺は本堂に、国宝・薬師如来坐像と国宝・十二神将(バザラ大将、アニラ大将、ビギャラ大将
、マコラ大将、クビラ大将、ショウトウ大将、シンタラ大将、サンテラ大将、メイキラ大将、
アンテラ大将、インタラ大将)、重要指定文化財・おたま地蔵尊を安置しています。

本堂で仏像に感動した後は、新薬師寺庭園を見学。



ここで抹茶の振る舞いもされるそうです。

新薬師寺を後にし、どこに行こうかと思案中、ガイドマップに「鶯の滝」なるものが・・・!
滝好きの俺は、春日大社や東大寺を差し置いて、そっちを見に行ってしましました。
しかし、その道程は現代のぬるま湯培養の人間には厳しいものでしたw

東海自然歩道と呼ばれる道を行きます。
しかし、旧柳生街道であるこの道。
春日山原始林(世界遺産)に差し掛かるこの道は整備されていなく、恐ろしく歩きにくかった・・・。



自然歩道と言うだけあって、自然まっただ中を歩くわけですが・・・。
前日の雨で地面はぬかるみ、苔で滑るわ、道に平気で小川できてるわ・・・。
ただ、ゴミとかは全然捨てられてなかったけどね。

途中に、寝仏、夕日観音、朝日観音の3石仏がありましたが、それは載せれません・・・!
主に枚数の都合で。写真集の方に夕日観音と朝日観音を載せておきます。

そして、旧柳生街道を進むこと50分ほどで首切り地蔵に到着。
この首切り地蔵。剣豪・荒木又右衛門が試し斬りしたという云われます。
ちなみに、旧柳生街道の通ってきた道は滝坂の道と呼ばれ、江戸中期に奈良奉行によって石畳が引かれ、
昭和初期まで柳生方面から奈良まで米や薪炭を牛馬の背につけて下り、日用品を積んで帰って行くのに
使われた道だそうです。



ここでいったん休憩。前編終了です。


あとがき

前編だけで書くの疲れる・・・。
今回撮った写真は合計177枚。この中から写真を選定して、どこにどう載せるかかなり悩みました。
良所巡りだけで50枚。だから、前編と後編に分けたわけですが。
とりあえず前編終了。後編をお楽しみに。



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